Augustus ( BC27 - AD14 )
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初代ローマ皇帝。と言うか、アウグストゥスは共和政のシステムを改変して「皇帝」という地位を
作り出した人である。BC44年にカエサルが死んだとき、18才の彼 ガイウス・オクタウィウスが養子に指名されていた。 アントニウスと組んでカエサル暗殺者たちを倒したが、 その後アントニウスと対立し、BC31年にアクティウムの海戦で彼を 倒す。これで、彼は権力を不動のものとしたが、 「王になろうとしている」と言われて暗殺された養父カエサルの 失敗に学び、慎重に足固めをしていく。 BC27年、アウグストゥス(尊厳者)の称号を受けるとともに、 プロコンスル命令権を受ける。(アウグストゥスの称号は彼の後継者に代々受け継がれローマ皇帝の称号として定着する。) BC23年、アウグストゥスは護民官職権と上級プロコンスル命令権を受ける。 一つ一つは 共和政の制度に矛盾しないのだが、これを一人でもったアウグストゥスは 王に等しい権限を身につけたことになる。それでも彼は元老院へ 敬意をもった態度で接しつづけ、共和政の建前を崩さなかった。 アウグストゥス自身はカエサルほどの人望も軍事的才能も無く、体も弱かった。 しかし、アウグストゥスは人を見る才能に恵まれていたのではないだろうか、 それによってアグリッパ、マエケナスなどの協力者をうまく使うとともに、 元老院からも敵対されずに統治することができたのであろう。
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初代ローマ皇帝アウグストゥスの右腕。アウグストゥスの軍事的成果は、
ほとんどがアグリッパがあげたものである。アウグストゥスによって後継者と目されていて、 その娘ユリアと結婚するが、BC12年に死亡する。
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ポンペイウス側についてカエサルと戦ったヌミディア王ユバ1世の子。ユバ1世が敗れて死んだ後イタリアで養育され、 アウグストゥスによってBC25年にマウレタニアの王とされる。妻はアントニウスとクレオパトラ7世の娘。 プリニウスによれば博学で有名であったらしい。 |
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