Marcus Aurelius ( AD161 - AD180 )
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五賢帝の五人目。幼少のときからハドリアヌス帝に可愛がられており、 ハドリアヌス帝がアントニヌス・ピウス帝を養子に したとき、同時にアントニヌス・ピウス帝の養子とされる。 彼の治世は戦争が多く、彼自身も戦地にいることが多かった。 哲人皇帝として知られ「自省録」は有名だが、この「自省録」も 戦地において自らを慰めるために書いたものである。 ネルウァからアントニヌス・ピウスまでの4人の皇帝が、 後継者に実子でない適任者を選んだのに、マルクス・アウレリウス帝が不肖の 実子コンモドゥスを後継者にしたことは古来から批判されている。 しかし、ネルウァなどが養子を後継者にしたのは、 実子がいなかったためであり、実子がいたマルクス・アウレリウス帝が コンモドゥスを後継者にしたのは ごく当たり前のことであった。 苦労の多かった彼は、死んだ場所も 前線に近いウィンドボナ(現ウィーン)だった。 ローマ市内コロンナ広場に残るマルクス・アウレリウス記念柱は ドナウ地方の蛮族平定を記念したもので 180年に作られた。
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アントニヌス・ピウスの娘、マルクス・アウレリウスの妻。(アントニヌス・ピウスの妻とは別人。)古代から不貞の噂が絶えないが、コンモドゥスが 不肖の息子であったためにその罪を着せられたようなところがある。
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AD130年12月5日、ルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス (136年にハドリアヌスの後継に指名されるが、138年に死亡)の子として生まれる。AD161年にマルクス・アウレリウスが即位すると、その共治帝とされたが、権威においても実質においてもアウレリウス帝の下僚であった。AD164年にはアウレリウス帝の14歳の娘ルキラと結婚。 AD162年から166年の間はパルティア戦争のため東方に赴く。ローマ帰還後、AD168年にアウレリウス帝と共にゲルマン人の侵攻に対処するため北へ向かうが、169年にローマに戻る途中で卒中で死亡する。
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マルクス・アウレリウス帝の娘で、ルキウス・ウェルスの妻。ルキウス帝の死後、クラウディウス・ポンペイアヌスと再婚する。182年に弟コンモドゥスに対する陰謀が発覚してカプリ島に追放、後に処刑される。 |
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