Clodius Albinus ( Western Usurper AD195-AD197 )
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クロディウス・アルビヌスは140年から150年の間に北アフリカで裕福な家庭に生まれる。アルビヌスという名前は、生まれたとき肌が白かったことから付けられたと言われている。
マルクス・アウレリウス帝時代の175年にはビチュニア総督になり、コンモドゥスの時代にはダキアとゲルマニアで働いていたことが知られている。コンモドゥスが暗殺された192年12月31日にはブリタニア総督の地位にあった。 コンモドゥスが殺され、そのあとペルティナクスが殺され、帝位が親衛隊により競りにかけられるという前代未聞の事態のなかで、ディディウス・ユリアヌスが帝位につく。しかし、それを不満に思った属州の兵士たちによって、クロディウス・アルビヌスは皇帝とされる。 ほぼ同時期にパンノニアでセプティミウス・セウェルスが、シリアでペスケンニウス・ニゲルが皇帝とされる。 セウェルスは東方のニゲルと戦うために、クロディウス・アルビヌスにカエサルの位を提供し、アルビヌスもそれを受ける。(つまり、副帝位で我慢したということ。) 194年には、セウェルスはアルビヌスと共にコンスルになり彼の名誉を高めておいて、ニゲルとの決戦に備えた。 その後、ニゲルが倒されるとアルビヌスは邪魔な存在となり、195年にカラカラがカエサルとされるのと同じ頃、公敵宣言される。 アルビヌスは司令部をルグドゥヌムにおき、ゲルマニアでいくつかの勝利を得たが、197年2月19日にルグドゥヌムの近くで決戦に敗れて死亡する。殺されたのか、絶望して自殺したのかは定かではない。 セウェルスはアルビヌスの子と妻を初めは許したが、すぐに気が変わって、処刑しあるいはローヌで投獄した。 アルビヌスはセウェルスとニゲルの戦いの間、セウェルスとの同盟を守ったわけだが、なぜ機会をとらえてセウェルスの背後を突かなかったのだろう。セウェルスが勝った後は自分が邪魔な存在になることは明らかなのだから、戦いを傍観していたのは不思議である。 |
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