Theodosius ( AD379-AD395 )
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キリスト教の国教化で知られる。有能な将軍であったテオドシウスは父の処刑のため辞任を余儀なくされるが、ウァレンス帝の死後呼び戻され、グラティアヌス帝によって東方担当の皇帝に任ぜられる。 前任のウァレンス帝が対応を誤ったゴート族とは382年10月に協定を結び、帝国領内への定住を認める。 388年にグラティアヌス帝を殺害したマグヌス・マクシムスを破って帝国全体を統治する皇帝となる。 390年にテッサロニケの住民の虐殺を命じ、ミラノの司教アンブロシウスに破門され、公に懺悔することを強いられる。391年に異教徒の供儀を禁じ、キリスト教を国教化する。 395年の彼の死後、帝国は2人の遺児アルカディウスとホノリウスに遺され、2度と単独統治されることは無かった(ローマ帝国の東西分裂)。
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テオドシウス1世の妻で、アルカディウス、ホノリウスの母。テオドシウスが官を辞していた376年に結婚、386年にトラキアで死亡する。 信心深く、慈悲深い人だったらしい。 |
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