マクシミアヌス ( AD286-AD305 )
ディオクレティアヌス帝の同僚の正帝で西方を担当したが、実質的にはディオクレティアヌスの下僚である。 ディオクレティアヌスの計画通りに305年に引退したが、その後の経過は複雑。306年に息子マクセンティウスがローマで帝位を僭称するが、自分の地位を強化すべく、父マクシミアヌスも帝位に復帰させる。308年にマクシミアヌスは息子と対立し、義理の息子コンスタンティヌスのもとに逃げ込み、退位する。310年にコンスタンティヌスを裏切って、帝位を僭称するが破れて自殺を強要される。 この経過を見る限り、かれはおとなしく引退などしたくはなかったのだろう。帝位への執着をむきだしにした晩年であった。 |
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