セプティミウス・セウェルス ( AD193 - AD211 )
初のアフリカ出身の皇帝。 187年に「王と結婚する」と占われていたユリア・ドムナと結婚。 ペルティナクス帝の暗殺後の193年に軍団兵により皇帝に推戴される。 ライバルはシリア総督のペスケンニウス・ニゲルとブリタンニア総督 クロディウス・アルビヌスであったが、197年までに 彼らを鎮圧する。 211年、ブリタンニア遠征中に死の床に着く。 子供たちに「互いに仲良くせよ。兵士たちに金を与えよ。 そしてその他のことは無視せよ。」と言い残したのだが、 帝国の半分の権力では不満だったらしく、 長子カラカラは次子ゲタを殺してしまう。 彼の残した建造物の中では、フォロ・ロマーノに今も残る 「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」が有名である。
セプティミウス・セウェルスの妻。カラカラとゲタの母。 シリアのエメサの神官の娘で187年にセプティミウス・セウェルスと結婚。 211年に夫セプティミウス・セウェルス帝が死んだ後、二人の息子カラカラと ゲタが共同皇帝になったが、この二人の仲は険悪で、カラカラは 母ユリア・ドムナの面前で弟ゲタを殺害する。 自分の息子たちの殺し合いを目の前にしたユリア・ドムナの気持ちは どんなものであっただろうか。 想像するとやりきれないものがある。 217年にカラカラが殺されたあと自殺する。 |