アントニウス ( 執政官 BC44,34、国家再建三人委員 BC43-38,37-33 )
カエサルの後継者の地位をオクタウィアヌスと争った将軍。 BC83年頃の生まれ。カエサルの配下で台頭し、カエサル暗殺の年である BC44年にはカエサルの同僚執政官になる。 カエサル暗殺後はカエサル派内で最有力の地位にあり、 BC43年に第2回三頭政治を開始した。 BC42年にオクタウィアヌスとともにフィリッピで カエサル暗殺者グループのブルートゥスらを破るが、共通の敵を倒した後は ライバルのオクタウィアヌスと激しく対立するようになる。 エジプト女王クレオパトラとは恋仲で、政治的にも同盟関係にあったが、 このことはイタリアの世論を敵にまわす原因になった。 BC31年にアクティウムの海戦でオクタウィアヌスに敗れ、アレクサンドリアに 逃げるがBC32年に追いつめられて自殺する。 シェークスピアのジュリアス・シーザーにはカエサル暗殺後の追悼演説で ローマ市民を見事に煽動する姿が描かれている。 本当にあのように人心掌握がうまかったのなら、オクタウィアヌスに 敗れることもなかったかも知れない。
プトレマイオス朝エジプト最後の女王。カエサルの愛人、アントニウスの妻としても有名。 プトレマイオス朝の伝統通りに弟と結婚し共に王位につくが、弟王にアレキサンドリアから追放されてしまう。そこにポンペイウスを追ってカエサルがやってくる。クレオパトラは自らを絨毯にくるませカエサルへの贈り物として届けさせる。こうしてカエサルとの面会に成功したクレオパトラはカエサルの愛人となり、王位に復する。カエサルとの間には息子カエサリオンが産まれた。 カエサルの死後はアントニウスと結婚し、エジプトを保護させる。オクタウィアヌスとアントニウスが地中海世界の覇権を賭けて戦ったアクティウムの海戦では真っ先に逃げ出し、アントニウスも彼女の後を追って戦線離脱し戦いに負けてしまう。アントニウスは自殺し、クレオパトラも蛇の毒で自殺する。 彼女の死によってエジプト王国は完全に消滅し、エジプトはオクタウィアヌスの支配地となった。 |
--> 共和政ローマ --> ルキウス・ブルートゥス --> ポンペイウス --> ユリウス・カエサル --> アントニウス ----> クレオパトラ7世 |