ティトス ( AD79-AD81 )
ティトスはネロ帝自殺のあと、ウェスパシアヌスからユダヤの反乱鎮圧を 任され、これが彼の最大の軍功となる。。 父ウェスパシアヌスが皇帝になると親衛隊長を務めたが、 これは騎士階級の人の職であって帝位継承者がなるのはは 極めて異例のことであった。 ティトスは非常に人気の無い帝位継承者であったが、即位後は 慈悲深いとの評判で人気が高まり、「人類の恋人」とまで言われた。 死亡時に弟ドミティアヌスに死期を早められたとの噂があるが、 おそらくはドミティアヌスを誹謗しようとするものによる 濡れ衣であろう。 また、ポンペイが火山灰に埋まったのは彼の治世のときである。
ユリア・ティティはAD64年ころ後の皇帝ティトスの娘として生まれる。AD79年にティトスが皇帝になるとアウグスタの称号を得る。AD90年か91年ころ死亡。 スエトニウスの皇帝伝によれば、ユリア・ティティとティトスの弟ドミティアヌスは近親相姦をおこなっており、彼女の父と夫が死んでからはおおっぴらに宮殿に住まわされていたという。また、死因もドミティアヌスの子の中絶手術だったという。 |