カラカラ ( AD211 - AD217 )
アントニヌス勅法、カラカラ浴場で知られる。 188年、ルグドゥヌムでセプティミウス・セウェルスの長男として生まれる。 195年に父帝とともに、マルクス・アウレリウス家の養子ということにして箔を付け、 マルクス・アウレリウス・アントニヌスと名乗った。 カラカラというのは渾名で、彼が着ていた丈の長い外套に由来する。 195年に副帝位、198年に正帝位を得、帝位継承者であることを明らかにされる。 211年に父帝が死ぬと、カラカラは弟ゲタとともに帝国を相続するが、 極度に不仲でその年の末に母親の目前でゲタを殺害する。 212年にアントニヌス勅法により、帝国内の全自由民に ローマ市民権を与えた。一見、大変人道的なすばらしい政策の ように見えるが、実は、相続税による税収増をねらったものと 考えられている。 カラカラは残虐な皇帝であると言われるが、兵士たちを大事にしたので 軍隊からは支持されていた。 カラカラ浴場はローマ郊外に今も巨大な姿を見せる公共浴場で 当時のモザイクなどが良く残っている。 写真のコインが作られた時期は上から、AD198-AD199, AD205-AD206, AD211-212 である。小さな子供から少年、大人への成長がうかがわれて興味深い。
セプティミウス・セウェルスの次男。カラカラの弟。 189年生まれ。198年に兄のカラカラが正帝になったときに副帝とされ、209年末に正帝に昇格。兄弟仲が悪く、211年の父帝の死後は宮殿を二分する。211年12月にカラカラによって母ユリア・ドムナの前で殺害される。
カラカラの妻で、親衛隊長プラウティアヌスの娘。 202年にカラカラと結婚したが、カラカラはプラウティアヌスとプラウティラを嫌っており、205年にプラウティアヌスが処刑された後リパラ島に追放され、212年に殺される。 |
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