ペルティナクス ( AD193 )
プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクスは126年に北イタリアの リグリアで生まれる。彼の父は解放奴隷であったという。 始め教師になったが、軍隊に入り出世する。 マルクス・アウレリウス帝のもと元老院入りし、 171年にラエティア総督、174年か175年にはコンスルになる。 その後、シリア、上下モエシア、ダキアの総督を歴任する。 コンモドゥス帝の治世の初期の182年に公職を離れるが、 185年に復帰。 ブリタニアでの軍隊の指揮をとり、192年には首都長官と2度目の コンスルに就任する。 192年12月31日のコンモドゥス帝暗殺にペルティナクスが 関与していたかどうかはよくわからないが、その夜親衛隊に賜金を 約束して皇帝となる。 ところが、コンモドゥス帝の浪費で財政は困難な状況にあり、 賜金を約束通りに払うことができなかった。不満を持った親衛隊により 1月と3月に陰謀が企てられるが失敗。その後3月28日に陰謀が成功し、 ペルティナクスは殺害される。 ペルティナクスは低い家柄から自らの実力によって皇帝にまで登り詰めた。 清廉な統治で人気もあった。しかし、親衛隊の不満に対処しなかったのが 命取りになってしまった。 |
--> ネルウァ --> トラヤヌス --> ハドリアヌス ----> サビナ ----> アエリウス --> アントニヌス・ピウス ----> ファウスティーナ --> マルクス・アウレリウス ----> ファウスティーナ ----> ルキウス・ウェルス ----> ルキラ --> コンモドゥス ----> クリスピーナ --> ペルティナクス --> ディディウス・ユリアヌス --> クロディウス・アルビヌス --> ペスケンニウス・ニゲル |