ウァレリアヌス ( AD253 - AD260 )
ウァレリアヌス帝は即位してまもなく、息子ガリエヌスを共治帝とし西方の統治をまかせ、 自らは東方を担当した。255年からペルシャ遠征に着手し、257年には対ペルシャ戦勝利を記念した貨幣を発行している。 しかし、260年にペルシャ軍が攻めてきたとき、ローマ軍には疫病が流行しており、戦力が低下していた。ウァレリアヌスは エデッサでペルシャ軍に包囲されてしまい、交渉で事態を打開しようとする。「少数の供だけ連れて、本人が直接、話し合いに来い。」と いうペルシャ王シャープール1世の要求に応じた結果、ウァレリアヌスは捕虜にされ、その後の生涯を奴隷として送ることになる。 これは前代未聞の不祥事である。 いつ死んだかは定かではないが、おそらく屈辱の中でいじめぬかれて、死んだのであろう。
ウァレリアヌスの妻。 彼が皇帝になる前か、あるいは直後に死亡している。そのため、 彼女のコインはすべて死後発行のものであり、"DIVAE MARINIANAE" の銘文を持つ。 |
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